四国屈指の荘厳な大社「和霊神社の歴史」【宇和島市観光物産協会】 (uwajima.org)
以下、記事の抜粋です。
第1幕(江戸時代):山家清兵衛公頼(やんべせえべえきんより)宇和島へ
時は元和元年(1615)、宇和島藩祖伊達秀宗が、宇和郡十万石に封じられ、宇和島に入った。その時、秀宗の父伊達政宗が、家臣の中でも力量手腕の優れた「山家清兵衛公頼」を総奉行として藩政を委託した。
公頼は藩の財政の立て直しに力を発揮し、宇和島藩は少しずつ豊かになっていくかのように思えた。
第3幕(江戸時代):6月30日
元和6年(1620)、6月30日の夜、その事件は起きた。清兵衛を日頃から良く思っていない武士たちにより、まさしく今、暗殺が決行されようとしていた。これからの出来事を予感させるような蒸し暑い嵐の夜だった。
清兵衛は、日夜、このような事態が起きることを予想しており、この日も用心し、親子3人蚊帳の中で枕を並べて寝ていた。そこに踏み込んで来た暗殺者たち。清兵衛は我が子をかばうため反撃するが、暗殺者たちは、蚊帳の四隅を切り落とし、まるで、網にかけた獲物のごとく蚊帳の中でもがき苦しむ清兵衛を刺し殺したのであった。その時清兵衛、42歳の若さであった。
また、一緒に居た、次男、三男も惨殺された。奥女中と別室に寝ていた四男の美濃は、一説によると、難を逃れさせるために、隣の家に投げ込んだが、後難の火の粉が降り注ぐのを恐れた隣人が投げ返し、その時に井戸に落ちて命を落としたという説もある。しかし、この時には、後室・奥方・幼子は先に家から逃げており、この嵐の夜には難を逃れた。この嵐の夜には・・・。
👉 和霊大祭 走り込み/7月24日(宇和島観光ガイド)
👉 うわじま牛鬼まつり 公式サイト(7月22日~24日)
2016年7月24日撮影の走り込みの動画
コメント